庭園の管理

日記です

登校にて

 

 

この物語を、駅やコンビニのトイレでウォシュレットを利用した際ウォシュレットの停止ボタンが反応せず絶望し、尻で水の噴射を受けながらもプラグを引き抜こうとコンセントを探してみたり、停止ボタンをかなり強めに叩くように押した経験のある、全ての人に捧ぐ。

 

 

 

(きゃー!遅刻するーーー!!全部の信号でスムーズに行けばギリ間に合う~!でもそんなこと今まで一度もないから今日は遅刻〜!!!)

 

ドンッッ!!

 

(ぎゃーー!!!ヤクザにぶつかった!!!終わりだ……)

 

「だ、大丈夫か?俺はヤクザだけど急いでる女子高生にぶつかられただけじゃ怒らないから安心してくれ。いや思ったより痛いなこれ、肩が外れたな。これは治療費が普通にかかるだろうけど俺は結構お金を持ってて自分で払えるからそれも請求しないんだ。しかも見たところ遅刻しそうな雰囲気に感じられるけど、ちょうど俺の迎えの車が到着したんで学校まで送っていこうか?ヤクザの運転手は遅刻知らずだぜ。」

 

春子は動揺した。危険すぎるから車に乗らない方が良いことは間違いないのだが、断るのも嫌な予感がする。とりあえず何か返事をしなければと思い、当たり障りのない言葉を発した。

 

「あ、ありがとうございます。私は春子って……」

 

「おう!おれは極道(みきわめ)。道を極めると書いてそれを反対にして市役所のやつに強引に承認させたからこの名前になったんだ。そんで……乗ってく?」

 

「ぜ、ぜひお願いします!」

 

極道が食い気味に会話に入ってきたことから、春子は極道がせっかちな性格であることを予想した。せっかちな人に対して優柔不断な態度で接すれば、うまく進む話がうまく進まなくなることが多い。

促されるままに光沢のある黒いセダン車の後部座席へ乗り込む際、運転手が「あの日もこんな空だった」と呟いたことを春子は聞き逃さなかった。

 

 

 

ピリリリリリ

「はい極道(みきわめ)。なに?イカのローマ字がわからない?あのなあ、そんなことで電話してくんなよ。あぁわかったよ、まずアイだよ、アイ、ア、イ!愛してる!じゃあな」ピッ

 

笑ったら殺されると思い春子は、尋常じゃない力で奥歯を噛み締めていた。

 

「笑ったら殺してたけどよく我慢したな。俺の奥さんは生まれてから一度も教科書を開いたことがないんだ。日本の都道府県が全部でいくつあるのかだって知りやしないんだ。それはそれでたくましいよね。」

 

そう話す極道の目は、なぜか少し涙をためていた。

 

「グ……そうですね。ご立派だと思います……。」

 

このまま平穏に学校へたどり着けるのか、頬の筋力が限界を迎えてしまうのか、笑った瞬間に死ねるならまだ良いがおそらく笑ったら、気まずい感じになり、じめじめした怒られ方をした後に殺されるだろう。春子は嫌すぎた。後部座席からバックミラーを覗き、できるだけ急いでほしい意志を運転手に目で訴えようとしたが運転手は暗い表情で前方を見つめるだけだった。

 

「俺の家って代々ヤクザでさ、まだヤクザって言葉が生まれる前からヤクザだったんだぜ。そのころヤクザは何て呼ばれてたか知ってる?」

 

春子は見当もつかず、答えを催促するように極道の顔を見た。その時に初めて気が付いたが極道の額に赤い点が光っていた。笑いそうになり瞬時に奥歯を噛んだのも束の間、春子は叫んだ。

 

「狙われてる!!!」

 

極道と春子は後部座席に身を潜らせ、しばらく走った。春子は、まさか自分が狙撃に気づくなんてと感動すら覚えていた。

(そろそろ学校にも着くだろうし、狙撃に気が付いたなんて言ったらクラスのみんなから質問攻めで参っちゃうな。最初は何気ない顔しておいて、2時間目の家庭科の時に言おう。班に分かれて布切れからナップサックを作り始めると同時に、今日学校来るときなんだけどさ……と話し始めよう。あぁ楽しみ!)

春子が家庭科室でにぎやかにしている妄想を始めようとしたとき、極道が「着いたぞ」と言い、腰を上げ周囲を見渡した。もうレーザーポインターは点いていなかった。

 

車から降りようと春子がドアに手をかけた時、後ろから追い抜いてきた車から極道めがけて弾丸が撃ち込まれた。窓が割れ、極道の肩が弾けた。それまでやる気のなさそうにしていた運転手が目を怒らせ「逃がすかよ!」と言い、車を急発進させた。

遅刻どころか今日学校に行けるのか、せめて降りてからにしろや、と本気で運転手を憎んだ春子だったが、肩から流れ出る鮮血を真横で見せられると春子の憎しみは、心配な気持ちと競り合い、やがて心配が勝った。家庭科室がどんどん遠くなっていった。

 

 

 

 それからは、カーチェイスの最中に運転手が頭に弾丸を15発ほど浴びながらも相手の車に追いついたり、どこからともなく現れた大量の物騒な集団に囲またり、相手の代表と春子とでロシアンルーレットをすることになって春子が勝利したり、勝利したものの集団から襲われ、手負の極道と2人で背中を預け合い敵の全てを撃ち伏せたりと色々あったが、それはともかく2時間目の家庭科の授業に間に合った。逮捕とかはされないように極道が何とかしてくれるらしかった。

 

 

 

先生から心配そうに遅刻の理由を尋ねられ、先生には申し訳なく思ったが春子は、先ほどまでに起こった全ての出来事をありのままに話した。

ヤクザにぶつかった時、これがヤクザの匂いなんだと思ったこと。視線に気づかれないように極道の小指を見たこと。小指がなくて驚いたこと。初めはクラスのみんなが春子を信じようとしなかったが、話が進むにつれて到底これは作り話には思えないという雰囲気が蔓延し、みんなの表情は次第にインセプションを見てるときのそれになっていった。みんな楽しんでいた。ものすごいスピードでカーチェイスしているのに運転手がウィンカーを出したこと、頭に弾丸を15発受けたあと運転手がウィンカーを出したり出さなかったりしたこと、銃弾を受けた傷を目の前で見たこと、運転手が息を引き取る間際に「あの日もこんな空だった」と呟き、それただの口癖だったんだ……と思ったこと、緊張感あふれる話の最中に時折混ぜられる運転手の小話が、みんなの集中力を最後まで途切れさせなかった。話の最後に、そしてこれが……とカバンの中から、極道の肩の止血に使った、真っ赤に染まった布切れを取り出したときこれまでで一番の盛り上がりを見せた。何故かわからないが笑顔で涙を流してる者もいた(それは本当に訳が分からなかった)。もうそれでナップサック作ろうぜ~!と誰かが言いだし、先生までも「そそそ、そうしましょ!」と言ったので、クラスみんなで一つのナップサックを完成させた。

 

 

 その夜、眠りにつく前に春子は家庭科室で血に染まった布を出したときのことを思い出していた。布を出した瞬間、クラス全体の興奮がピークに達しクラスメートがめいめいに絶叫したり走り回ったりする中で、あの物静かな家庭科の先生までもが目を見開き顔を紅潮させ「ナーーー!!」と叫んでいたのを春子は目撃していた。その時の先生の顔を思い返すたびにニヤついたりしながら、やがて春子は眠りについた。

 

翌朝、春子は逮捕された。