庭園の管理

日記です

重力坂

ゴオオオーーーーッという音とともに風を放出しているドライヤーの先、本来なら毛髪がある位置には、卵雑炊が置かれていた。ドライヤーを握っている晴子の目は真剣そのものであった。


1週間の内に水曜日しかない休日を大切に過ごしたいと考えていた晴子は、待ちに待った水曜日の朝、早くに起床し部屋の掃除や洗濯を済ませた後、鍋をガスコンロにかけ、冷蔵庫の中でカチカチになってしまったご飯を投入、水とほんだしを加えご飯が汁を吸ってきたら溶き卵を流し入れ、醤油で味を整えネギを散らして、そうして完成した卵雑炊をドライヤーで乾かしてチャーハンに変えようとしていた。

早く乾かしたいと前のめりな気持ちになってもドライヤーをターボモードにはしない。そんなことをしたら雑炊の表面と内側で乾き具合が大きく異なり、良いチャーハンにはならないことを晴子は心得ていた。スイッチをセットの位置に合わせてじっくりと卵雑炊を乾かしていると、急にインターホンが鳴った。晴子の手に握られたドライヤーのスイッチはセットの位置から変わらない。


「すみませーん、卵雑炊を乾かしてチャーハンにしてますよねー!それ意味ないですよー!」


いドアの外からそんな言葉が聞こえてきて晴子は固まった。なぜ?私は卵雑炊を乾かしてチャーハンにすることだけが生きる目的なのに、なぜそんな事を言うのだろう。晴子の心が一瞬のうちに、雨の日の卵雑炊のような濡れ具合になる。いや、そもそも誰なのか?どうして私の行動を知っているんだろう?机の前で卵雑炊にドライヤーを当てながら呼びかけに応えるべきかどうか悩みながら、しっかり施錠がされていることを確認しつつドアを見ていると、ドアをスーッとすり抜けて背広姿の男が部屋に入ってきて驚いた。


「晴子さんですね。わたしは人間ではありません。今日は大事な話があってここへやってきました。」


なんだか変なことになってしまった。私はただ卵雑炊を乾かしてチャーハンにしたいだけなのに。それに物をすり抜けられるなら初めからインターホンを鳴らさずに入ってくればよかったのに。部屋に男の人がいる。いや、人間じゃないと言っていたような。晴子は一度に様々なことを考えたが雑炊を乾かすのはやめずにいた。


「そう、私は人間ではないので晴子さんの考えていることは口にしなくとも伝わってきます。インターホンを鳴らしたのは礼儀のためです。あとさっき、晴子さんの心が雨の日の卵雑炊のような濡れ具合になったというのも伝わってきましたが、卵雑炊がある場所には大体屋根があるから、その濡れ具合は元々だろ。」


ひゃー、帰ってくれー、せっかくの休日なのに、ゆっくりと雑炊を乾かさせてくれー。晴子は隠しもせず堂々と思う。


「今日はそのことでやってきたんです。申し上げにくいのですが……あなたのやっていることを知った上のものが、この人間は時間の無駄だ!と怒ってしまって……。あなたは今日限りで人間以外のものに転生することに決まってしまいました……。」


えっ?私が卵雑炊を乾かしてチャーハンにしていることがそんなにいけないことなの?


「それだけではありません。あなたの収入源、大手メーカーが作ったアロマキャンドルを溶かして自分達で用意した瓶に入れて固めて販売するアルバイト。それを週6日。そして唯一の休日もこのような過ごし方、生きる手段にも、生きる目的にも意味のない人間は他のものに転生してもらって、そして新しい人間を誕生させることになっているんです。」


晴子の心は穏やかだった。アルバイトの給料が入るたび、結構高収入なのはキャンドルの材料費がかかっていないからなのか、と後ろめたい気持ちになった。私と同い年のスポーツ選手が病気になっているのをニュースで見て心が痛むこともあった。本当は何年も前から、悩み事や生活の苦しみから解放されたかったのかもしれないと、どちらかと言えば感謝の気持ちさえあった。


「早速、転生する物の候補がいくつかあるので何に転生するか決めましょう。カタログを持って来てますのでね。まずはこちら、どうでしょう」


………


えっ!?!?


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力水の缶に活けられたすすき!?


「いかがでしょうか?」



えっと、これに転生するとして秋が終われば消えてなくなるんですか?


「いえ、季節は関係なく30年ほど力水の缶に活けられたすすきのままです」


そうですか…

他のもいくつか見させてもらって大丈夫ですか?


「もちろん大丈夫ですよ。では、こちらなどどうでしょう?」


………


えっ!?!?


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パッと見で何桁か分からない数の乳酸菌が入ったカップラーメン?!!


「いかがでしょうか?」


うーん

これに転生したとして、1度食べられたら終わりですか?


「いえ、30年の間は食べられても復活します」


復活か

ややこしいことは苦手なので他のから選びます


「そうですか…。ではこちらどうでしょう…?」


………


えっ!?!?



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陰陽整体術 あぅん!?!

なんですかこれ?


「これは、陰陽整体術 あぅんです。」


だからそれが何なんだよ…… 

他の候補はまだありますか?


「あるにはあるのですが、この3つでダメなら他の全てダメだと思います。」


そうなんですね……

じゃあこの3つの内で決めますよ


「あ、そういえば。私共もよくわかってないもので良ければ1つありますよ」


はぁ…


「重力坂、という場所です。それが何なのか、それに転生するということがどういう事なのか、転生する勇気を持つものだけ、それを知る事ができるとされています。」


晴子の目はうつろになっており、すでに何にも焦点があっていなかった。重力坂って意味わかんねえよと思ったし、休日なのに人と話しすぎたのだ。自分が何に転生するかなど考えられなくなり、もう状況が変わるまでじっとしていようと固く決意した。


卵雑炊はチャーハンを通り越していた。